2008年10月08日

引用文の怪

田川大吉郎の『政党及び政党史』(1929年刊)を読んでいたところ、1860(万延元)年、幕府が派遣した遣米使節副使の村垣範正が、アメリカで議会の論戦を観察した際に日記に記した言葉として次のような引用があった。

もゝ引や、腹がけ様な着物を纏へる者、凡そ五六百人、一堂に会して、数時間に亘って激論を交わす。中にも頭らしき者、高き所に登りて、拳にて卓を打ち腕を振り上げ、総髪を振り乱して論ずるさま、魚市場のせり売のごとく

田川は上記の観察を「批評し得て極めて妙」「その人の絶倫なる働きを見る」とした上で、さらに村垣の日記には次のように書かれているとしている。

我国の諸事、居住まいを正し、対手を正視し、いんぎんに対談する風儀、露ほども窺はれず、嘆はしき事なり

この村垣の日記にある議会見物の記述は割と有名なもので、最初の方の引用文は、昔尾佐竹猛が引いているのをどこかで読んだ覚えがあったが、後の方の引用を読んで、ここまで明確な比較の言葉があるとは知らず、一度原本を確認してみようと思って、図書館で調べてみた。

ところが、実際に日記を調べてみると、田川が引いている文章が、どんなに捜しても、無い。むろん、4月4日の条には、確かに米国議会観覧の記述があるが、その文章は「凡四五十人も並居て其中一人立て大音声に罵手真似なとして狂人の如し」「国政のやんことなき評議なれと例のもゝ引掛筒袖にて大音に罵るさま副統領の高き所に居る体抔我日本橋の魚市のさまによく似たりとひそかに語合たり」というもので、趣旨においては田川の引用と近いものがあるものの、文章はまるで異なる。

他の箇所に、地方議会などの観察記録があってそっちを引いたのかと思ってくまなく捜してみるも、見当たらない。翻刻の異版本なども確認してみたが、どれも同じであって、田川の引用のような文章は無い。別の日記とか報告書とかのものかとも思っていろいろ調べてみたが、そのようなものも見当たらないようである。念のために研究書もいくつか見てみたが、引かれているのはどれも同じ文章であった。

ということは、田川の引いているものが、間違いということになる。田川が、昔読んだあいまいな記憶に頼って書いたものなのだろうか。しかし、それにしては、一字下げにして、明確に原文からの引用という形式で引かれているのが気にかかる。しかも、「我国の諸事、居住まいを正し、対手を正視し、いんぎんに対談する風儀、露ほども窺はれず、嘆はしき事なり」というような文章は、それに類似する文章すら村垣日記には全く見当たらない。とすると、田川が自分で勝手に付け加えたということになるが、しかし前後の文脈から言ってわざわざ捏造する必要のある部分ではない。何らかの勘違いで済ますには、あまりに大きな違いである。

田川は歴史家ではないから・・・と言ってしまえばそれまでだが、あまりに引用文が違いすぎて、どうも腑に落ちない部分がある。他のどこかに、こういう文章があるような気もしてならないのだが・・・やはり単なる捏造あるいは記憶違いなのだろうか?

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