2012年12月02日

10年前の早明戦

あれからもう10年…――2002年、ちょうど10年前の早明戦は、早明戦としては珍しい、雨の中での試合だった。その日、僕は大学院の恩師・由井正臣先生や、某先輩と一緒に、国立競技場で、冷たい雨に打たれながら、観戦したのだった。

当時の早稲田大学ラグビー部は、清宮克幸監督就任2年目。前年度、大学選手権決勝であと一歩のところまで迫りながら関東学院大学に敗れた悔しさをバネに、この年は初戦で東京大学を156-0で破るなど、驚くべき強さを発揮し、慶応大学には74-5の大差で勝利、この日の早明戦も、24-0と、大正15年以来(!)の完封勝ちを収めた。結局この年は、大学選手権でも順調に決勝まで進み、決勝では3連覇を狙う関東学院を27-22で斥け、13年ぶりの全国制覇を成し遂げたのであった。その2年前まで低迷の淵にあった早稲田を、監督就任わずか2年目でここまで強くした清宮監督に、私は尊敬の意を強くしたが、一緒に観戦した某先輩は、「あまりに強すぎて面白くない」と、この日の早明戦以降、ラグビーを見るのをやめてしまった。

試合後は、由井先生や先輩と一緒に、新宿に移動して遅くまで飲んだ。具体的に話した内容はもう忘れてしまったが、由井先生らしい厳しい物言いの中に、学生への深い優しさや、学生への期待を強く感じ、「頑張らなくては!」と思ったことだけは今でもよく覚えている。後にも先にも、由井先生と一緒にラグビーを観戦したのは、この時の1回だけである。当時大学院生にとって由井先生は「とても怖い先生」だった上に、シャイな私の性格もあって、ラグビー観戦をご一緒したいとか、飲みに行きたいとか言い出すのは、恐れ多くて出来なかったのだ。由井先生は筋金入りのラグビー好きで、2005年頃までは、よくラグビー場でお一人で観戦されている姿を見かけた。今思えば、もっと勇気を出して、観戦や飲みをご一緒させていただき、尻を叩いてもらえばよかったと、後悔している。

あれから10年。いろんなことが変わった。ラグビーだけ見ても、あれほど強かった早稲田は今や対抗戦4位の低迷ぶり。10年前、2002年の早稲田は、筑波大学に43-13で勝ち、帝京大学に至っては64-10で大勝している。しかし、今や力関係は完全に逆転した。早稲田だけではない。あの年を含め、ライバルとして6年連続決勝で対戦していた関東学院大学は、今季なんと7戦全敗で、入れ替え戦行きが決まっている。早明戦後、学生たちであふれかえっていた歌舞伎町も、今はしんみりとしており、コマ劇前で校歌を歌うことすら許されないという。歌舞伎町自体も廃れたが、大学の姿勢も大きく変わった。社会や政治も大きく変わった。そして私自身、当時まだ20代でペーペーの大学院生だったのが、いま恐れ多くも、由井先生と同じ立場に立っている。しかし、由井先生が学生に与えておられた厳しさと優しさとを、私はどれだけ与えることができているだろうかと思うと、慙愧に堪えない。その意味では、あの日の由井先生の、たった1回だけのラグビー観戦の思い出は、今でも僕の尻を叩き続けているといえる。

そういえば、先生が亡くなった年(2008年)の早明戦の後だったと思うが、あの時先生に連れて行ってもらったお店はどうなっただろうかと、行ってみたところが、残念なことに、そのお店は既にもう無くなってしまっていた。

10年後、果たして自分が何をしているのか、社会がどうなっているのかはわからない。きっと、また、いろんなことが変わっているのだろう。しかし、変化というものは、急に起こるものではない。日々の小さな営みの積み重ねが、気づけば、考えられないほどの大きな変化となっているのだろう。忙しい日々に、1日1日の大切さを忘れ、地に足をつけて歩むことを忘れてしまいがちであるが、一歩一歩の積み重ねの上に、10年後があるのだとすれば、その一歩一歩を無駄にすることなく、精一杯踏みしめていくことが大切なのだ。こんな当たり前のこと――しかし、当り前ではあるが、忘れがちで、とても大切なこと――を、「10年後の早明戦」が思い出させてくれた。10年前の由井先生は、今でも僕にとって怖くて、そして偉大な先生である。

posted by Webmaster at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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