2008年05月31日

忍峡稜威兄と〔石+殷〕稲綺道秀

表題を見て、この名前を読めた人は、かなりのマニアですね。
両方とも、明治期の人物です。

前者「忍峡稜威兄」は、当時の史料などを見ていると時々見かける名前なんで、知っている方も多いかもしれません。
「忍峡」までが苗字で「おしお」、「稜威兄」は名前で「いずえ」と読みます。読み方は「おしおいずえ」ですが、旧仮名遣いで名前を書くと「おしほいずえ」となります。

後者は、いきなり一文字目の漢字がパソコン入力だと出てこないほどの難文字。読めた方はいるでしょうか?「〔石+殷〕稲綺」が苗字で「おたぎ」、「道秀」が名前で「みちほ」、つまり「おたぎみちほ」と読みます。


忍峡稜威兄は、岡山県出身の民権家で、明治11年6月『好事雑報』という雑誌を創刊、明治12年12月は、桜井静の呼びかけに応じて、両備三国三十一郡十一区千百七十一ヶ村六十ヶ町の総代として、国会開設建白書を奉呈した人物で、岡山県会議員も務めました。
参考:前田昌義「国会開設請願運動の備中国総代・忍峡稜威兄について」(『倉敷の歴史』14)、前田昌義「忍峡稜威兄『通俗日本国会新論』」(『岡山地方史研究』102)

〔石+殷〕稲綺道秀は『詩歌襍輯』『観光小誌』『桂林一枝』といった漢詩和歌に関する雑誌に関わっていた人物で、昭和期まで存命だったようですが、詳細はよくわかりません。


以上豆知識でした。

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