大隈の評伝はこれまでもいくつか出ていますが、本書の執筆の意図を知っていただくために、「はじめに」にあたる部分を以下に掲載させていただきます。ご興味を持たれた方は手にとってお読みいただければ幸いです。
なお、価格2200円+税は高いとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、中身は495ページもありますので、ボリュームを考えれば非常に安い本だと思います。全ページコピーするよりも安いです(笑)。
はじめに
国会議事堂の中央広場には、伊藤博文・板垣退助の銅像とともに、大隈重信の銅像が置かれている。大隈は早くから議会政治と政党内閣制の必要を唱えた政治家として、議会政治の三恩人の一人とされる。また、早稲田大学の創設者として、慶応義塾の福沢諭吉と並び称されることも多い。
しかし、福沢の肖像が現在一万円紙幣に使用され、伊藤博文・板垣退助もかつて紙幣にその肖像が印刷されていたのに対して、大隈は、いまだ紙幣にその顔を使われたことがない。もとより、紙幣の肖像とされたか否かがその人物の評価の基準となるわけではないが、現在の通貨単位である「円」を制定したのがほかならぬ大隈であることを考えるならば、大隈がこれまで一度も紙幣の顔となっていないのは不思議なことだと思われる方も多いのではないか。
その理由は定かではない。中国に対する二十一箇条要求の際の首相であったということが関係しているという説もある。確かにそれも一つの理由かもしれない。しかしそれを言うならば、福沢諭吉もまた、「脱亜論」の提唱者に比定され、対外認識における問題点を指摘されることが多かった。とするならば、これ以外にも何か理由があるはずである。他に考えられる要因としては、大隈が早稲田大学の創設者であるがゆえに、特定の学校の「恩人」を紙幣とすることへの抵抗感が存在しているのではないかとも考えられる。その点では、福沢諭吉もまた慶応義塾の創設者であるが、福沢の場合、丸山真男をはじめとする錚々たる研究者による研究の蓄積によって、近代日本思想史上の巨人としての評価が定着しており、そのイメージは慶応義塾の創設者としての評価をはるかに超えている。それに対して大隈の場合、伝記の多くは早稲田大学関係者の手になるものであり、その内容も大学関係者がその創設者を「顕彰」するという色合いが濃かった。そのことが大隈=早稲田とのイメージを増幅させ、かえって近代史のなかの大隈の役割を矮小化してきたのではないか。また大隈は思想家ではなく政治家であり、それゆえに敵対者も多かった。
特に従来の近代史研究では、大隈が自ら文字を書かない人間であったこともあり、彼と政治的敵対関係にあった人々の史料(たとえば、政府内保守派であった佐佐木高行の日記や、藩閥政府の密偵史料、さらには大隈系政党と対峙していた立憲政友会の原敬の日記など)が中心史料として多く用いられてきた。大隈の敵対者であるがゆえに、それら史料には噂の類に属する出処の怪しい情報も含めて、大隈に関するネガティヴな記述が多い。それゆえ、それらの史料を読んだ多くの研究者は大隈に負のイメージを抱くようになり、そのことが間接的に大隈の研究や評伝の少なさにつながってきたようにも思われる。
現在利用できる大隈に関する評伝の多くは、明治一四年の政変と政党(立憲改進党)結成前後までに記述の大部分が割かれている。しかし実は大隈は、明治後半期から大正期にかけて政党政治の堕落をかなり厳しく批判してもいる。また自ら政党を指導していくなかで、理想通りにはいかない厳しい現実に直面し、多くの挫折をも経験した。そうした大隈の政党運営の模索と苦闘の軌跡のなかには、たとえば政党と官僚との関係のあり方や、民意と統治の論理との矛盾をいかにして調和させていくかという問題、あるいは党内派閥の統御の問題など、今日につながるさまざまな論点が含まれている。とりわけ大隈が組織した二度の内閣は、大隈人気=民意を背景として成立したがゆえに、伊藤博文や山県有朋のような藩閥政治家(彼らは民意から超然たりうる立場であった)や、官僚と協調してその力を借りながら内閣を運営した原敬など立憲政友会系の内閣とは異なる厳しい困難、すなわち民意と統治との相克という難問に直面せざるをえなかった。大隈の足跡には、そうした困難を経ているがゆえに、現在の政治のあり方にも通底する数多くの問題を見出すことができる。
また、大隈が活動した分野は、政治のみにとどまらず、驚くほどに幅広い。たとえば、我々が日頃使用する交通手段である鉄道、自動車、飛行機は、そのいずれも、大隈が日本への移入に大きく尽力したものである。先に触れた「円」の導入もまた然り。大隈の事蹟は、近代日本の基盤を形づくる数多くの分野にわたっており、今日の日本にまでつながるものも多い。さらに彼は、近代国家を支える分厚い「民」の力の育成を主眼に、数多くの文化的活動や講演活動を行なっている。本書では、そうした政治以外の分野をも含む幅広い大隈の活動にも焦点を当て、また従来の評伝で記述の薄かった明治後半期から大正期にかけての活動を追うことで、これまで語られている以上に多彩な大隈の活動の軌跡と、同時代におけるその絶大な人気の秘密を明らかにし、政治史だけではなく、より広く日本近代史全体のなかに大隈を位置付けていきたい。
もちろん本書は、これまでの評伝のように大隈の「顕彰」を意図するものではない。筆者もまた早稲田大学に籍を置くものではあるが、本書では、あくまで史料に即して大隈の活動を「検証」することを目指した。その際、大隈と政治的に対立していた人物の史料や、出処の怪しい密偵情報などはなるべく避け、使用する際にはしっかりとした史料批判を心がけた。そのうえで、本書では、大隈の日本近代史における軌跡を、その挫折や失敗、負の部分までをも含めて明らかにしていく。というのも、大隈の栄光だけでなく、そうした挫折や負の部分のなかに、現在の我々にとって新たな発見をもたらしうる材料が含まれていると信じるからである。現代社会のあり方や我々の生き様につながる何かを、本書のなかから見つけていただければ幸いである。
大隈重信 - 民意と統治の相克 (中公叢書)
posted with amazlet at 17.02.08
真辺 将之
中央公論新社
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