2019年01月12日

明治大学ラグビー部、22年ぶり日本一!

ラグビー大学選手権決勝は、大方の予想を覆して、明治大学が22-17で天理大学を振り切り22年ぶりに優勝しました。22年前というと、私が大学院修士課程の学生だった時代です。私の学部時代から修士課程時代にかけては明治の黄金時代で、早稲田はこの6年間で、1回しか明治に勝利できなかったことを覚えています(その1回、対抗戦で勝った時も、大学選手権ではボコボコにリベンジされました)。永友、元木、渡邉大吾、信野、赤塚、神鳥、田中澄憲、山品、斉藤祐也などなど、錚々たる(早稲田からすると憎たらしい)選手たちの顔が思い浮かびますが、その時以来なんだなぁ〜と思うと、関係者でない私も何か胸に込み上げてくるものがあります。

明治の勝因はなんといっても、天理の外国人3人を完璧に止めたこと。一人目が足に、二人目が上半身に入るタックルでしっかり仕留め、大きなゲインを許しませんでした。またブレイクダウンの攻防についても、天理がボールを持っている際にはしっかりと押し込めていたと思います(それでも天理の強さに、攻撃が継続されると徐々に押し込まれたりはしましたが、何度かのターンオーバーも出来ましたし、あれ以上を望むのは酷でしょう。逆に課題が残ったのは明治オフェンス時で、2人目のサポートが遅くてボールキャリアが孤立することが多く、速攻できなかった・何度かターンオーバーされたことです)。

両チームともに、決勝での緊張もあったのか、ミスは多かったですが、当たりの激しさという点では、今年度の大学チームの試合では最高の内容だったように思います。

最初の3分で天理があっさり先制した際にはワンサイドゲームも予想しましたが、その後すぐに明治が取り返し、続いて見事なサインプレーで2トライ目を奪ってリードを奪ったのが大きかったと思います。特に、事前に準備されたトリッキーな動きを取り交ぜて、まだゲーム慣れしてない天理防御を突いていたのが印象的でした。これで天理は追う展開を余儀なくされました。また前半最後の、トライすれば同点のシーンで、天理がインゴールまで持ち込んだボールを明治がグラウンディングさせなかった必死の防御。これは勝敗を左右する、かなり大きなプレーだったと思います。

後半28分の時点で22-5で明治が17点のリード。この時点で誰もが明治の優勝を一回確信したと思います。しかしその確信をまた不安に変えるその後の天理の怒涛の攻めも見事でした。まさか10分でどっちに転ぶかわからない状況にまでなるとは、誰も予想しえなかったと思います。それだけ、天理がボールを持つと勢いがすごかった。あの攻撃を天理がもっと早くから出来ていれば、天理が勝ったでしょう。いやこれから数回同じ組み合わせで試合をすれば、かなりの割合で天理が勝つ、それくらい天理の攻撃力はあったと思います。

それだけに、天理はマイボールを継続して攻撃の時間を長くできなかったのが悔やまれます。明治のタックルの良さもありましたが、何より敗因は、ラインアウトの失敗にあったと思います。スクラムであれだけ優勢に進めながら、攻撃時間を長くできなかったのは、ラインアウトでボールを奪われることが多かったためです。ここの修正だけで、おそらく結果はひっくり返っていたでしょう。ここまで天理がラインアウトに苦しむとは私も予想していませんでしたが、逆にいえば、明治がそれだけ身長の高さを生かして、天理を研究しつくしていたということでもあります。

明治にもミスは多かった。たとえば残り10分、明治がターンオーバーした際に、SH福田選手がマイボールをすぐに蹴ってしまったのは、さらに得点を狙いにいったのでしょうけれども、もし蹴らずにキープして継続していたら、天理のラストトライは無かったはずで、もっと楽勝できたでしょう。両チームとも、無意味な球の蹴り合いが多く、マイボールからの攻撃の機会をみすみす失ったこともありました。それでもリードしている明治はそれでもよいでしょうが、天理にとっては後半の前半、球の蹴り合いに応じてしまって、みすみす攻撃の起点を逸した点は痛かったように思います。他にも判断ミスは両チームともにいろいろあって、たらればもいろいろあるのですが、緊張ということ以上に、それだけ相手チームの当たりの激しさにプレッシャーを受けていたために、冷静な判断ができなかったという面があったのだと思います。ゲームのレベルが高い故のミスだということです。

私の友達には明治大学の関係者も、天理大学の関係者もいらっしゃるので、おめでとうございます、残念ですが来年こそ!と、両方言わなくてはならない立場ですが、どちらにせよ、今シーズンの大学最高水準のチーム同士の試合であったことは間違いありません。本当に見事な試合でした(あまりにすごい試合であったからこそ、両大学の関係者でもないのにこんな長文を書いてしまいました)。そして、敗れてしまった天理大学は、今年度の主力選手が残りますので、来年度は断トツの優勝候補筆頭になるのではないかと思います。特にミスの目立った13番のフィフィタ選手はまだ2年生ですから、これからきっと凄い選手に伸びていくことでしょう。

ちなみに、今の明治大学の選手は、主将の福田健太選手をはじめ、明るくかわいらしいor朗らかな感じの学生が多く、かつてのゴツくて反抗的で怖そうな選手ばかりだった明治とはなんだか変わりましたね。福田健太という名前で思い出すのは、やはり20年ぐらい前に、明治のBKにいた福田健太郎という、トリッキーな走りをする選手です。相手チームながら好きな選手でしたが、あの福田健太郎選手と名前が一字違い、身体も同じように大きくなくて細身の選手ということが共通していますが、しかしそれでも雰囲気がかなり違っていて、現在の福田主将はかわいらしく朗らか、福田健太郎選手はトリッキーでずるがしこそうな感じ(失礼)でしたので、そこも時代の変化を感じさせるなと思いました。ラグビー選手だけでなくて、今の学生を見てみても、昔みたいな反抗心丸出しの怖い学生とか、ずる賢そうな学生は減りましたし、かわいらしい素直な学生が増えたように思います。それとも、私が歳をとったためにそう見えてしまうだけなのでしょうか?

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2017年12月24日

クリスマスの思い出

自分がサンタクロースなるものの存在を信じていた記憶が全くない。覚えているのは、本当はサンタなんていないって知っているけれども、親に付き合って信じているふりをしていたことだけだ。毎年12月になると、窓に「サンタさんへ」って張り紙をしてほしいものを書いたりしていたけれども、それも親に自分が何が欲しいか知ってほしいからだった。それにしても、何故そんなふうに信じているふりをしていたのだろうか。親がせっかく演技してくれているのだから、それを台無しにしたくないという子供なりの思いやりだったのだろうか?

いったいいつからサンタの存在を信じなくなったのか(そもそも信じていた時代があるのか)もはっきりしない。幼稚園の時にはもうわかっていた。幼稚園の時に、明らかに園長先生が変装しただけの偽サンタが園内でお菓子をくばっているのを見ながら、こんなことをしたら、なんでサンタが二回も来るんだってなって、みんなサンタが嘘だと気づいてしまうじゃないかと子供ながらに思った覚えがある。小学1〜2年のころには友達同士で「今年はクリスマスに親に何を買ってもらう?」というような会話をしていたし、同級生はみな親が買ってくるのだと知っていたように思う。みんながそんな話をしているときに、1人だけ申し訳なさそうな顔をしながら「うちはサンタさんってことになっているから」みたいな話をした人がいて、その時「あ、こいつも俺と同じような後ろめたい感情(本当は知っているのに演じているという)を抱えているんだな」って思ったことだけは強烈に覚えている。

サンタクロースっているんでしょうか?

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2013年05月20日

大学院は人を不幸にする?

学生時代の知り合いとかのツイッターとか見てると、自分含め大学院に進学して学問の道を選んだ人間より、卒業後普通に就職した連中の方が、(相対的に)はるかに幸せ度が高そうな人が多いように見える。子供作って家庭築いてという物理的なこともさることながら、精神的にも、なんというか上手く言えないんだけど、生き生きと書きたいことを書けてるようにみえる。

大学院、あるいは学問というシステムは、物理的にも精神的にも人を不幸にするということなのか。

それとも「隣の芝は青く見える」だけなのか。

ただひとつ言えるのは、自分は学問すればするほど性格が暗くなっていったし、何をするにしても心の底から没入して楽しむということができなくなったということだ。自分の行動を傍らから客観的に見つめている自分がいて、常に自分の行為や判断に留保をつけて防御的な態度を取っている。

自由を求めて学問の道を選んだはずが、とてつもなく不自由な人生を生きてる気がする。そういや名作「D5の夜」にも似たようなフレーズがあったっけ。
D5の夜

というか、この書き込み自体も、全然幸せそうにみえないよなあ(笑)


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2012年12月02日

10年前の早明戦

あれからもう10年…――2002年、ちょうど10年前の早明戦は、早明戦としては珍しい、雨の中での試合だった。その日、僕は大学院の恩師・由井正臣先生や、某先輩と一緒に、国立競技場で、冷たい雨に打たれながら、観戦したのだった。

当時の早稲田大学ラグビー部は、清宮克幸監督就任2年目。前年度、大学選手権決勝であと一歩のところまで迫りながら関東学院大学に敗れた悔しさをバネに、この年は初戦で東京大学を156-0で破るなど、驚くべき強さを発揮し、慶応大学には74-5の大差で勝利、この日の早明戦も、24-0と、大正15年以来(!)の完封勝ちを収めた。結局この年は、大学選手権でも順調に決勝まで進み、決勝では3連覇を狙う関東学院を27-22で斥け、13年ぶりの全国制覇を成し遂げたのであった。その2年前まで低迷の淵にあった早稲田を、監督就任わずか2年目でここまで強くした清宮監督に、私は尊敬の意を強くしたが、一緒に観戦した某先輩は、「あまりに強すぎて面白くない」と、この日の早明戦以降、ラグビーを見るのをやめてしまった。

試合後は、由井先生や先輩と一緒に、新宿に移動して遅くまで飲んだ。具体的に話した内容はもう忘れてしまったが、由井先生らしい厳しい物言いの中に、学生への深い優しさや、学生への期待を強く感じ、「頑張らなくては!」と思ったことだけは今でもよく覚えている。後にも先にも、由井先生と一緒にラグビーを観戦したのは、この時の1回だけである。当時大学院生にとって由井先生は「とても怖い先生」だった上に、シャイな私の性格もあって、ラグビー観戦をご一緒したいとか、飲みに行きたいとか言い出すのは、恐れ多くて出来なかったのだ。由井先生は筋金入りのラグビー好きで、2005年頃までは、よくラグビー場でお一人で観戦されている姿を見かけた。今思えば、もっと勇気を出して、観戦や飲みをご一緒させていただき、尻を叩いてもらえばよかったと、後悔している。

あれから10年。いろんなことが変わった。ラグビーだけ見ても、あれほど強かった早稲田は今や対抗戦4位の低迷ぶり。10年前、2002年の早稲田は、筑波大学に43-13で勝ち、帝京大学に至っては64-10で大勝している。しかし、今や力関係は完全に逆転した。早稲田だけではない。あの年を含め、ライバルとして6年連続決勝で対戦していた関東学院大学は、今季なんと7戦全敗で、入れ替え戦行きが決まっている。早明戦後、学生たちであふれかえっていた歌舞伎町も、今はしんみりとしており、コマ劇前で校歌を歌うことすら許されないという。歌舞伎町自体も廃れたが、大学の姿勢も大きく変わった。社会や政治も大きく変わった。そして私自身、当時まだ20代でペーペーの大学院生だったのが、いま恐れ多くも、由井先生と同じ立場に立っている。しかし、由井先生が学生に与えておられた厳しさと優しさとを、私はどれだけ与えることができているだろうかと思うと、慙愧に堪えない。その意味では、あの日の由井先生の、たった1回だけのラグビー観戦の思い出は、今でも僕の尻を叩き続けているといえる。

そういえば、先生が亡くなった年(2008年)の早明戦の後だったと思うが、あの時先生に連れて行ってもらったお店はどうなっただろうかと、行ってみたところが、残念なことに、そのお店は既にもう無くなってしまっていた。

10年後、果たして自分が何をしているのか、社会がどうなっているのかはわからない。きっと、また、いろんなことが変わっているのだろう。しかし、変化というものは、急に起こるものではない。日々の小さな営みの積み重ねが、気づけば、考えられないほどの大きな変化となっているのだろう。忙しい日々に、1日1日の大切さを忘れ、地に足をつけて歩むことを忘れてしまいがちであるが、一歩一歩の積み重ねの上に、10年後があるのだとすれば、その一歩一歩を無駄にすることなく、精一杯踏みしめていくことが大切なのだ。こんな当たり前のこと――しかし、当り前ではあるが、忘れがちで、とても大切なこと――を、「10年後の早明戦」が思い出させてくれた。10年前の由井先生は、今でも僕にとって怖くて、そして偉大な先生である。

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2011年04月19日

「明治史研究」「明治史研究のためのリンク集」閉鎖のお知らせ

2000年2月1日より公開していたサイト「明治史研究」および、その下部サイトの「明治史研究のためのリンク集」を、本日、2011年4月19日をもちまして、閉鎖させていただきました。

「明治史研究」はいつまでたっても内容が充実せず、リンク集のほうも、初期の頃は頻繁に更新し利用者も多かったのですが、ここ数年は放置状態になっていました。検索エンジンの発達、ブログやtwitterの普及と、旧来型のホームページの衰退など、IT環境の変化もあって、かつてのようにディレクトリ型リンク集も必要とされなくなってきていて、更新の熱意を失っていたのが正直なところです。

当ブログも元々は、「明治史研究」「明治史研究のためのリンク集」の更新情報などを記載するための附属ブログとして出発したのですが、次第にブログでのニュース発信が中心となり、さらにtwitterを利用するようになってからは、twitterでの情報更新が主となり、ブログはtwitterのログを掲載することが中心になりつつあります。

こうしたなかで、いつまでもダラダラと古いサイトを公開し続けるのもどうかと思い、ちょうど管理人の身辺にもいろいろと大きな変化があったということもあり、この機会に旧サイトを閉鎖させていただくことにしました。なお、現在職場のサーバーに、新サイトを構築中ですが、かつてのサイトとは異なり、一般向けのサイトではなく、仕事で関わる学生たちを対象にした、必要最低限の情報を記載するにとどめる予定です。

なお、このブログは、これからも情報発信の場として残しておきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。twitterのログばかりでなく、多少は独自の記事を掲載できるよう、努めたいと存じます。旧サイトに掲載していた雑文の類や古書店めぐりの記録などは、当ブログに執筆当時の日付でログを転載しておきました。また、旧サイトの更新情報の類は、すべて当ブログの過去ログから削除いたしました。

いざサイトを閉じるとなると、この11年間にあったいろんなことが思い出されて、少々物寂しい気持ちになりました。思い起こして見れば、本当にいろんなことがありました。初期の頃はサイトに掲示板をつけていて、台湾から友人が書き込んでくれたり、昔教えていた塾の教え子たちが思いがけず書き込みをしてくれたり、ラグビーや野球の観戦記録を書いて見ず知らずのファンの方々と語りあったりしたのも、懐かしい思い出です。古書店めぐりの記録をブログに移す作業の際には、足しげく古本屋や古書展に通った日々が楽しく思い出されて、とても懐かしかったです。一番悲しいのは、古書店めぐりの記録を書いていたとき、いつも傍にいてくれたあの子が、今はもういないということでしょうか。この11年、いろんなことが変わっていきました。あの頃はあの頃で、いろいろ辛いことも沢山あったはずなのですが、今思い返すと、楽しいことばかりが思い出されてきます。そして、楽しい思い出のはずなのに、それを思い出すと物寂しい気持ちになるのは、どうしてなのでしょうか。

最後に、この11年間に出会った方々に感謝の気持ちを申し述べて、サイト閉鎖の御挨拶とさせていただきます。本当に、どうもありがとうございました。

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2008年08月29日

久しぶりに古書展に

しばらくご無沙汰していたのだが、久しぶりに時間が出来たので、東京古書会館での古書即売会(窓展)に行ってきた。あきつ書店が安価でいい本をたくさん出していたので(ネットではべら棒な値段をつけているのに・・・)、10冊以上買いこんでしまった・・・。こんなにたくさん買ったのは何年ぶりだろう。

工藤武重『明治憲政史』上下900円、幣原平和財団『幣原喜重郎』500円、『平民宰相若槻礼次郎』400円、渡辺幾治郎『昭憲皇太后宮の御坤徳』400円、岡山同窓会『梧堂言行録』1000円、佐々木惣一『天皇の国家的象徴性』200円、市島謙吉『獄政論』400円、万朝報社『涙香文選』400円、山路愛山『勝海舟』300円、荒畑寒村『左の面々』300円、筑波常治『破約の時代』400円など。

『破約の時代』の筑波先生は、学部時代の恩師だが、この本は先生の自伝。筑波先生は、山階宮家の血筋を引くお方、つまり皇室に連なる血筋の方で、僕が学生の頃は「緑の麗人」と呼ばれる早稲田大学政経学部の名物教授だった。とにかく緑が好きな先生で、服もいつも緑色だということからそう呼ばれていたのだった。住所も某市の「緑町」という場所という徹底ぶりだった。

一回、書類にハンコを押してもらいに行ったところ、朱肉が緑色だったのには仰天したものだ。

先日、偶然、街中でお見かけしたが、緑色の和服を着て、相変わらずのダンディーぶりだった。人の生き方は、顔にあらわれると良く言われるが、貴族らしい清麗な中に、凛とした厳しさをも感じさせるあの雰囲気には、やはり憧れてしまう。まあ素材が違うのでああなるのは無理だけど・・・。

先生は、華族の家に生まれたにも関わらず(いや、生まれたが故に?)、波瀾万丈な人生を送られ、とてもユニークな価値観をお持ちの先生なんで、この自伝も読むのが非常に楽しみである。


本当は神保町の後、今日から始まった高田馬場のビッグボックス古書市に行こうかと思っていたのだが、上記の通りたくさん買いこんでしまったので、高田馬場は取りやめ、喫茶店でコーヒーを飲みながら読書して1冊読了し、そのまま家に帰った。

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2008年06月03日

歳月

ちょっと前のことですが、

古本屋で買った、明治30年頃の雑誌を読んでいたら、
ページの合間から、画像のような紅葉が出てきました。

ページに挿まれてから、一度も開かれることがなかったらしく、
とても綺麗なままで、残っていました。

080323_203506.jpg

その雑誌は「8月号」。
ということは、

紅葉狩りの記念に、持ってかえってきた紅葉、
あるいは、
家の近くで拾った紅葉なのかもしれませんが、

ひとつの秋の記念にと、
本棚に並べてあった2,3ヶ月前の雑誌の中に、はさんでおいたのでしょう。



100年以上も前の人の、残したものが、
100年以上も経って、無関係の僕のところに、届く。

残した人は、きっともう亡くなっているのに、
生きていた証は、しっかりと残っている。
それって、すごいことだなぁ・・・


そう思う反面、


その人が、この紅葉に込めた思いは、
跡形も無く消え去って、今は知ることができない。
形はこのように残っていても、
その人の心は、遠い過去へと流れ去り、どこにも残っていない。

それは、とても哀しいことだな・・・

とも思います。




果して、100年後に、僕が生きていた証は、何か残っているのでしょうか。



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2007年01月29日

これ、気になってます

pwtc900.gif今まで、電子辞書なるものを持っていなかったのですが、シャープから発売されたPW-TC900が非常に気になっています。


通常の電子辞書機能に加え、ワンセグTVも見れるというスグレモノらしいです。楽天市場で見ると、3万円代で買えるみたいですし、機能に比べて安いと思います。ワンセグ専用機でも、3万円弱しますからね。

いろんな評価サイト見ても、ワンセグ携帯より感度が良いらしいし、電子辞書としても、カラー画面で非常に見やすいく、また電子辞書は全般にカシオよりもシャープの方が外国語の発音も聞き取りやすいらしいので、多分これを買うことになりそうです。
posted by Webmaster at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月09日

最初のご挨拶

このたびブログを開設することにいたしました。

サイト「明治史研究」「明治史研究のためのリンク集」の更新情報のほか、有用な情報、日々の雑感などを投稿していきたいと思います。

サイトの更新も長いこと怠っておりましたが、そろそろボチボチ復活しようと思っています。

フォームにて連絡くださったリンク依頼も、大変遅くなりましたが、リンク作業を再開したいと思っています。

どうぞよろしくお願い申し上げます!

posted by Webmaster at 04:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年08月31日

2003年頃の富山の古書店

以下は、かつて管理人が公開していた「明治史研究のための古書店めぐり」に掲載していたものです。閉鎖にともない、このブログに転載しました。古い情報ですので、あくまで過去の記録として見てください。たぶん行っても今は無い本屋が多いと思います。

昔の富山の古本屋地図を見ると沢山の古本屋が出ているが、今や市の中心部には2軒しかない。うち1軒は糞なので、実質1軒だけといってよい。そのうち富山の古本屋は全滅するかもしれない。ただし、郊外にも何軒かあるようなので、時間に余裕のある人、車の人は回ってみてもいいかもしれない。レンタサイクルも無料で貸し出してくれる場所があるので、朝早くから借りて回れば、郊外の店も回れるかもしれない。かなり疲れるとは思うが・・・。(2003.8.31)

今井古書堂(富山市総曲輪4−5−15)
広い店に本がびっしりと置いてある。歴史系の本も多い。新書・文庫も多く、珍しいものもあった。しかし難点は値段の高さ。

客を足蹴にする貴文堂書店(富山市南田町1−1−10)
ここはひどい店。客を客と思わぬ店。行くと不快な思いをする可能性があるので行かない方がいいだろう。表の方にエロ本をはじめとする雑本が全く雑然と置かれており(学術書は一切なし)、奥に専門書が置いてあるらしい。奥への入り口には「ご自由にお入りください」と書いてあったので、入ろうとすると、店番をしていた中年のおばさんが、なんと驚くことに足をつきだして私の行く手を遮り、「入るな」という。「え??」と私が驚いていると「何を探しているんだ」というので、「日本の近代史関係の本です」というと、「フン、そんなものはないね」といい、足でしっしっという仕草で私を追い出した。これほどまでにひどい対応をしたのは、長年の古書店めぐりでもこの店が初めてである。なぜ奥に入れなかったのかわからないが、もし整理中とかなら「申し訳ないですが」と下手に出て断るのが常識だろう。それを足を突き出して遮るとは言語道断。だったら「ご自由にお入りください」の表示を外せよ!「貴文堂」の名前を見たらご用心。まあ、客を客とも思わないこんな店は早晩つぶれると推測する。

このほか、郊外に「フレンド書店」という本屋があり、古書店地図帳には「全体に押さえ目な値も気持よい」と書かれている。しかし、高岡の古書展に出していた本の値段は、決して「押さえ目」ではなく、相場よりかなり高い値をつけていた。当初行く予定だったが、この古書展での値付けを見て、行くのをやめた。

富山県の歴史散歩
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